スポーツメンタルコーチ 加藤優輝ができあがるまで

2020年12月15日

6歳から22歳までサッカー漬けの毎日。

サッカーを始めたきっかけは、近所の友だちが始めたから。

何かに影響を受けた訳でもなく、ただ何となく。

入団したチームは町クラブの東スポーツサッカー少年団というチーム。

そして、小学3年生の頃、誰もやりたがらないということで、ゴールキーパーに。(ここから現役引退までのGKライフがスタート)

小学生のときにフットサルで全国大会を経験し、少年団のメンバーで地元の領家中学校サッカー部に入部。

ほとんどが1年生でスタメンになり、たくさんの経験を積むことができた。

下の写真は9年間ともにプレーしてきた仲間たち

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そして自分の転機になったのが中学2年生の頃。

全国高校サッカー選手権大会・埼玉県予選を観に行き、強豪校でプレーをして将来はプロサッカー選手になると決意。

そのとき観た試合のチームが浦和東高等学校。

浦和東でサッカーをしよう。

そう心に誓う。

猛勉強をし、浦和東高校合格、サッカー部に入部。

そこからハードな3年間がスタート。

本当にきつくてついていくのが大変だった毎日。

毎日走るし、とてつもない量のご飯も食べる。

もう一度3年間やることはできないと思う。

ちなみに、サッカー部の部訓は

『理不尽・愚直・感謝』

今改めて見ると恐ろしすぎる…。

でもプロになりたいという気持ちがなくなることはなく日に日に増していくばかりだった。

そして誰よりも練習してきた3年間。

最後の選手権での自分の立ち位置は、

スタンドでの応援。

チームが負けて自分たちの学年の引退が決まったとき、涙が溢れ出た。

きっとその涙にはチームが負けてしまったことに加えて、自分がスタンドで応援していることに対しての悔しさも混じっていたのかなと。

下の写真は高校時代。 

本当にたくさんの経験を積むことができた。

試合には出られなかったけれど、浦和東でサッカーをやって心からよかったと思うし、浦和東での3年間がなければ、今の僕はいないと断言できる。

僕にとって、大切な宝物である。

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高校では試合に出れなかったが、そんなことでプロになりたいという気持ちが消えることはなく、もちろん大学に進学してプロを目指し続けるという選択を。

そして進学先に選んだ大学が、駿河台大学。

スポーツ推薦で入学できるということ、トレーニング環境の充実、Jリーグチームで指導実績のある方が監督になるという話を聞き進学を決意。

この大学では1年生からスタメンで出場し、2、3年のときに副キャプテン、4年のときにキャプテンを務め、とても内容の濃い経験を積むことができた。

サッカーに学生生活の全てを使ってきたが、大学4年の頃に今まで感じたことのない異変が。

それが、
「プロサッカー選手になれなかったらどうしよう。」
「もしかしたらなれないんじゃないか。」

今まで思ったことのない気持ちだった。

そして、その不安な気持ちを誤魔化すために、今まで以上に練習を重ね、
心身共に疲弊していた。

練習していないと不安になる。
練習していれば不安を感じないで済む。
だから疲れていても練習をする。

疲れ果てた自分へ最後の一撃となったのが、プロサッカー関係の方からの一言。

「君の身長だとプロでGKとしてやっていくのは難しい。もしプロレベルの能力があったとしても、どのチームも君と同じ能力で君より身長の高い選手をとる。」
(ちなみに僕の身長は170㎝でGKとしてはとてつもなく小さい)

その一言が決め手となり、燃え尽き症候群になった。

結果、サッカーを嫌いになり現役引退。

変えられないことよりも、変えられることだけに向き合ってきたサッカー人生。

変えられないことが問題と言われたのは、長年積み重ねてきたことを一気に崩されたような気持ち。

人生最大の挫折であり、抜け殻になった経験。

下の写真は大学時代の写真

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その後、僕の親友から一緒に消防士を目指さないかという誘いがあり、勉強を始める。

当時は人のために働けるってかっこいいなという純粋な気持ちだけで目指すことに。

また、大学4年で残り卒論のみで卒業という状況で大学中退。

単位が取れてないとか成績が悪いとかはなかったけれど、大学卒業しなくても受けられるのなら辞めてもいいかということで決断。
(政令指定都市規模以上の消防職員だと、大卒程度の学力が必要なだけで、学歴は関係ない。)

今振り返れば卒業してからでも間に合ったのでは?とも思うが、その当時は自分にとってこの選択が最善であると思っていた。

大学を辞めるにあたって家族はもちろん、大学の方や友人にも止められましたが。
(あのときは、本当にご迷惑をおかけしました。)

昔から、目標などに向かうにあたって重りになることは排除して、なるべく身軽でありたいという気持ちがあったのかもしれない。

今振り返ると、サッカーから離れるための理由として消防士を目指したのかもしれないという気持ちもある。
いや、きっとそうなのかな。

そんなことで、大学を中退してから猛勉強を始め、予定通り最短1年で消防士になることができた。

自分で言うのもだけど、誰よりも目標に対してエネルギーを注ぎ込めるという自負がある。

特に目標に対して何が必要なのかをミリ単位で考え行動に移すのがとてつもなく得意。

そして、ただ我武者羅に努力するのではなく、計画的な質の高い努力が目標を現実にする秘訣だと思っている。

(ちなみに勉強時間10時間+トレーニングを365日行っていた)

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そして、念願の消防士としての社会人生活がスタート。

これが自分にとっての生涯の仕事。
疑うことなく、そう思い込んでいた。
けど実際はそうにはならなかった。

人のために仕事ができると思っていたはずが、現実は人の不幸に立ち会い、何もできない状況。
このような状況でも、人からはありがとうと感謝される。

そして、自分の将来の姿が容易に想像できてしまった現実や職場の人に好かれるために偽って生きている自分の姿。

イエスマンとして生きていく毎日。

結果、サッカーをしていた頃とは別人の自分が嫌で消防を退職。
(サッカーをしているときの自分が、この姿を見たら愕然としていたと思う。) 

また、退職を決意した理由の中には、

『夢や目標に向かって日々生きている人(アスリート)をサポートしたい

という気持ちが密かに芽生えてたこともあって、新しい挑戦へと踏み出すエネルギーとなった。

そして、そのとき考えたのが
もう一度サッカーを仕事にすることを目指す
ということ。

(もちろんこの時も、公務員を辞めるなんてもったいない、行く当てもないのに無謀すぎる、などといった批判はたくさん受けた。)

きっと自身の経験などをベースにして指導者になろうとすれば、どこかしら働けるチームが見つかるだろうとは思っていた。

けど、自分自身が燃え尽き症候群になってしまった理由をクリアにした状態でないと、もし自分と同じような選手が現れたときに、

『気持ちは共感できるが、どうやって乗り越えればいいか伝えられない』

そんな指導者になる気がした。

だからこそ、まずは自分自身が燃え尽き症候群になってしまった原因をクリアにすることを考えた。

そこで、自身の燃え尽き症候群になった原因を探っていくと、

自己流のトレーニングとメンタル面の未熟さが原因だと感じた。

そうとなれば身体とメンタルについて1から勉強しようという結論になり、日本でもトップレベルの方々のもとで学べる環境を整えることにした。

もちろんこのときも勉強できるような環境や教えてくれる知り合いがいた訳ではない。

どうしたかというと、

Googleで日本で有名なトレーニング専門の組織とメンタル専門の組織を探し、気になったところに連絡をとって学びたいという意思を伝えただけ。

結果、身体についてはR-body project、メンタルについては鈴木颯人氏のもとで学ぶことができ、アスリートをサポートするレベルまでスキルを身につけることができた。

その後、学んできたことを一人でも多くの方にお伝えし、貢献するといった日々を送っていた。

そしてある日突然、プロサッカー選手の方をサポートさせて頂く機会があり、
アスリートをサポートするという目標が少しずつ現実となってきた。

そこから仕事がどんどん良い方向に進んでいき、気付けば元U-23サッカー日本代表でJリーグ新人王であるカレンロバート選手のサポートをすることに。

そしてカレンロバート選手がオーナーをやっている房総ローヴァーズ木更津FCというJリーグ加盟を目指しているチームで、
パフォーマンスコーチとして指導者を1年間やらさせて頂いた。

中学生、高校生、大人という3つのカテゴリーのメンタルとフィジカルをサポートさせて頂き非常に良い経験となった。

そしてそれと同時に、チームという大きなくくりでサポートするよりも、
マンツーマンに近い形で、自分のエネルギーを注ぎたいという気持ちが明確になった。

(僕の性格上たくさんのことでエネルギーが分散するよりも一つのことにエネルギーを使った方が良い方向に進む)

どうしても選手の細かい部分まで見切れないところに、違和感を感じていたからだ。

下の写真は僕が成長するきっかけをつくって下さった、カレンさんと。

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こちらは房総ローヴァーズ木更津FCでのパフォーマンスコーチ時代

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また、素晴らしいコーチやトレーナーはたくさんいるが、メンタル面をサポートできる人間がほとんどいないという現実に、アスリートがメンタル面とうまく向き合うことができれば、さらに飛躍することができるだろうという確信を得た。

そして、自分がメンタル面をサポートできる人間でいようと、心の底から溢れ出てくるような使命感を感じた。
その使命感に掻き立てられ、メンタルコーチを主軸としたアスリートのサポートをしている。

そして、僕のライフテーマ

『誰もが心の声に正直になって生きられる世界』

そんな世界を目指して、

  • アスリートが心からワクワクするような目標を達成する。
  • アスリートが目標に到達するまでの過程を楽しむことができる。
  • アスリートが幸せを感じられる日々にする。

この3つを僕自身のミッションとしてアスリートに寄り添ってあげられる存在でい続けたい。

長文になりましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

これからも僕自身が、

『アスリートの幸せに寄り添い、目的地へと導いていく人間として相応しいのか。』

これを自分自身に問い掛け続けていきたいと思います。

プロスポーツメンタルコーチ 加藤優輝